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この先ブログを続けるかはわからないけど

数日前に会社でブログの話になって私も昔やってたんだよ。。。ってなって久々に自分のブログを覗いた。最後の投稿が2015年12月。いやあー、その後も色々あった。「修羅場」に書いた程ではないけど、まさに大殺界が続いていた。

まず12月に突然会社のボスから労働時間を週25時間に減らされた。10年以上働いてたのに、予告無しで「明日から」と。会社の経営状態が良くないのは分かっていたけど、それは突然始まったわけでもなく、「そうなるかも」と言う事もできたはず。同僚も私も長く働いてたから、せめてそのぐらいするのが筋だったと思う。心の準備もあるし、そうなったら生活できないから2つ目の仕事を探す必要もある。でもそうじゃなかった事で強い不信感があった。それだけじゃなくて、ボスも忙しくないのもあって、どんどん気難しくなって難癖をつけてきたりもしてたから、私も前にも増して仕事探さないとと思っていて、実際職探しはしていた。

そして2月に解雇。これも色々あった。カナダでは労働法に基づいて、雇用者は従業員に解雇を言い渡すときは働いた年数によって何週間か前にその旨を知らせる必要がある。私の場合は、長く働いてたから2ヶ月前に知らされるべきだった(または2ヶ月分の給料)。ところがそういう対応をしてくれなかっただけではなく、騙されたような対応をされた。

これも、もう終った事だし、元ボスには思った事を言ったから詳細は書かないけど、当時は先行きの不安で大変だった。もちろん政府から失業手当はもらえるけど、金額は会社からもらっていた金額の55%だけ。生活できる金額ではない。それだけじゃなくて、働いてる時に失業保険用のお金は差し引かれてるから、失業手当を貰う権利があるけど、政府の対応は結構厳しくて一刻も早く仕事みつけろーっっっっっって感じ。

ホントに悪い事は重なるなーと思った。でも義理の姉達に(元だけど)とても助けられた。何だかんだ言って私は恵まれてるなーと思う。

その後は、義姉の家のリノベーションを手伝ったり、映画のエキストラの仕事したり(通常は年に一度ぐらいしか仕事来ないのに、何故か4つぐらい来た!)テープ起こしの仕事したりと忙しくはしていた(但し稼いだ給料の額で失業手当の額が減らされる)。また、同業者の知り合いから働かないかと誘われたりもした。お試しみたいな感じで一週間働いたけど、元ボスと同じような嫌な態度が見えた(元同僚が一時働いてて、彼女はその事を私に気を使って言わなかったけど、後で話したら同じ事を思ったと言ってた)。前の会社にいた時と同じストレスを抱える事になると思って、仕事を探してる状況でこのオファーを蹴っていいものかすごく悩んだけど、もう精神的にキツいのは嫌だと思って結局ことわった。

それでも大殺界だか何かは分からないけど、この悪い時期からは抜け出せているような気は何となくしてた。それに伴って焦りつつも気分が軽くなっていくような感じ。失業手当の終わりも近づいてきてたから、心配はしてたんだけど。

そして失業から約7ヶ月後に就職できた!!!!!!
あ〜、ホントにホッとした!

修羅場2

<つづき>
またまたひえ〜〜っとなって、これはゴミがまだ中にあってそれが放ったらかしになっているから、その問題の元凶を何とかせねば!!!と思った。中に入ってそのゴミを取らないといけないんだけど、這い回るウジ虫をみて、それを踏んづけてプチプチする感触が嫌で(既に自分の家でやってたから)、どうしよう。。。と悩む事約5分。じゃあ、買い物袋を足に被せよう!となって、自分の家に戻って完全武装(足だけ)。それでもプチプチするのは嫌だな。。。とまた悩む事10分程。

その間Facebookにもその事を書いてたら、友人の一人が「警察呼んだ方がいい」とコメントしてきた。でも私は警察がゴミ問題如きで真剣に取り合ってくれるとは思わなかったんで、警察に電話をするのに躊躇した。それで友人に返信をして、「中に入る前に電話した方が良い?」と訊いたら、「した方が良い」と言われたんで電話をした。それでもやはり緊急だとは思われなかったのか、警官が来るのに30分ぐらいかかった。(騒音で電話した時の方が早かった!)それも警官は一人だけ。それで手短に説明して、表の戸は開いてないと思ったんで裏に連れて行って、警官が一人で入って私は外で待ってた。

5分ぐらいして警官が出て来て一言。
「死体がある」
私は気がぬけたってのか、よく分らないけど、「Oh」ってだけ言った。
その後私の頭にはまだ大量のウジ虫の事があってその元を外に出してもらう事が一番にあったので、その事を訊くと、警官は「自殺なんでその為の調査をしてからでないと死体を運び出せない」と言われがっかり。その後調書を書かされたりしたんだけど、その時に警官に、「中には入ってないって書いて」と言われて「入らなくて良かった!』とFacebookの友人に感謝。

そうこうするうちに隣人が家に帰って来たりで話したりしてた。その日は斜め上に住んでいる人がそこには今住んでいないから使っていいよ、と言ってもらえて一晩お世話になった。私の家と上には匂いを消す為の機械を置いて行って、それがとても五月蝿くて参った。嫌でも思い出してしまうから。

その後も修羅場は私にとっては収まらなくて、その後保険会社がまあ色々やってたんだけど、お金を使いたくないらしく害虫の駆除をしないで放ったらかしにされ、だからウジ虫は死体を運び出した後も暫く私の家からいなくならず、その上家の物を出さなければいけなくなった。死後約2週間程経っていたらしく死体が殆ど原型をとどめていなかったそう。だからそういう液体はもちろん下に行く訳で、私の所迄は来なかったものの(ウジ虫は来たけど) 上階の床と私の所の天井がかなり汚染されたらしくそれは全て取り除かないと行けなくなった為、私も引っ越しをしないといけなくなった。

その上そういう情報を当の本人の私に言ってこず、突然2日後に引っ越しできるかとか無理難題を押し付けられそっちの方がストレスになった。上の人に関しては、生前も迷惑をかけられたけど、死後も同じなんだと怒りがこみ上げた。全くの他人なのにここまで迷惑をかけられて、同情の気持ちが全く起こらなかった。

それでここは自分の持ち家なんでただ引っ越しで終わる訳にも行かず、リノベーションをしないといけなくなった。その間住宅ローンを払っている上にアパートを借りるお金なんてないから、どうしようと思ってたら、元夫が姉に相談してくれて、私を受け入れてくれた。一年以上経った今もまだお世話になってる。彼女には頭が上がらない。

この一年精神的にも金銭的にもすごく大変だった(と過去形で書いてるけど現在まだ大変です)。 白髪がすごく増えたし、かなり疲れてる。リノベーションも終わってないしお金もないしでどうするのこれ?状態。きっと大殺界とかそんな年なんだろうな。。。と思って、もう最悪を通り越した事を願ってる。


修羅場

(つづき)

ひえ〜〜〜〜〜っとなってもそこで固まってる訳にもいかず、ほうきで掃いてはトイレに捨てるというのを朝の7時頃迄やっていた。朝になってウジ虫の動きが鈍くなってきたみたいで、そこで睡眠。3時間程して起きてウジ虫の様子も大丈夫(?)っぽかったので買い物に行った。

これは絶対上の人がゴミを捨てずに部屋に放置してるに違いない。。。とイライラ。

そして日曜の夜中から朝にかけては前日と同じように活発になったウジ虫を掃いては捨てを繰り返す数時間。そして朝方にまた寝る。

前日あたりに一部の壁の中から壁がぼろぼろ落ちてる音がしたんだけど、それが実はウジ虫だったに違いないと気づいた。もう、私は怒り心頭。上に住んでる住人にメールをするも返事がない。電話をして留守電を残した。それから上に訪ねて行ってドアベルを鳴らすも誰も出ない。その時に、ドアの横にある窓を見ると、網戸になっていたんだけど、窓の桟のところが黒くなっていた。よく見るとそれは2〜3cmの高さになったハエの死骸だった。まだ生きてるハエもたくさん飛び交ってるのが見えた。。。

もっと頭にきながら自分の家に戻った。彼女に電話した時に間違って隣の人に電話をしてしまい、彼がかけ直して来たんで事情を話すと「後ろのドアの所は凄い匂いだよ」と。私は滅多に後ろにいかないので全く気づかなかった。隣人は今家にいないというので、じゃあ私が後ろを確認すると言って電話を切った。

その一ヶ月程前にとうとう私も携帯を買った。大昔に一時期携帯を持っていたんだけど、余り使わなかったのと、いつも携帯に縛られてるのが嫌で、何年も携帯の無い生活をしてきたんだけど、映画の仕事とかでかなり不都合だという事が判明して携帯を持つ決心をした。それで上の人との問題をフェイスブックで書いていたのもあって、携帯を持って後ろから上の人の所に行った。隣人が言っていたように、確かにムッとくるにおいがした。

上に行ってみると、ドアが空きっ放しになっていて中が丸見え。一応ノックをして彼女の名前を呼んでも誰もいないみたいだった。それで床を見ると、たくさんのウジ虫がはえずり廻っていた。。。
つづく

ご無沙汰のブログ

いやあ、前にブログ書いたのは一年以上前。その後色々あって疲れてます。

まあこのブログをチェックしてる人は余りいないと思うけど、順立てて書いていこうかと思う。

まず、毎年7月頃から映画祭でとても忙しくなって、ファンタジア映画祭が終わって疲れ切っているところに、次のモントリオール世界映画祭が始まる。まだ疲れが残っていて毎年余り楽しめない感じ。去年はそれとは別に、前に通訳として働いた映画の監督がモントリオールに来ていて、その映画の最終調整みたいので、ご一緒させて頂いた。それで一週間程忙しく、その後にモントリオール映画祭でフォトグラファーになったりして、日本の俳優さんや監督さんの取材時の写真を撮ったりで、次の一週間もかなり忙しく過ごした。

それで全てが終わった後やっとゆっくり出来るみたいな感じになったんだけど、ある日家に帰って来たら生ゴミの匂いがした。私の部屋は汚部屋だけど生ゴミだけはためないようにしてるので、上の人だろうなと思った。元々上の人は問題があって、夜中に凄くうるさかったりで余り関わらないようにしていたので放っておいた。それが木曜日。そして金曜日に仕事から帰って来たら、匂わなかったんで、「あ、ゴミだしたんだな」と思っていた。次の日は仕事が休みなのであさの3時頃までネットを見ていて、さあトイレに行って寝るかーとトイレに行った。そしたら洗面所にウジ虫が2匹這っていた。

え、何で?とちょっとビックリした。用を済ませて廊下にでると辺り一面に這い回るウジ虫。


つづく


ずぼらな私のメニュー

もともとこのブログを始めたきっかけはCOOKPADの存在を知ってそこから料理に目覚めた。。。というかお菓子作りに興味がわいたんだけど、失敗が沢山あってそれを書いたら面白いかな?と思ったから。元々料理は(多分)下手ではないのだろうけど、好きじゃなかった。食材を洗ったり切ったりっていうのが私には面倒くさくて仕方が無い。

それでもCOOKPADを見るようになってからは割とこまめにご飯とお菓子を作ってはいた。

ところが2年前に引っ越しをして、そこが修理が必要でキッチンが物を置けない状態。置けるけどごちゃごちゃしていて、料理をする気が起きない。で元の木阿弥で料理がおざなりになっている。(キッチンの修理は全く進んでいません。笑)

それで食べられればいいみたいになってはいるんだけど、ここの所は無理矢理嫌いな野菜洗いをやってサラダを食べるようにはしている。主食はカレーとか一回作ったら何食も食べられるような物が多い。数週間前はお好み焼きを毎晩作ってた。まあ、これは豚肉を終らせないと。。。ってのもあったんだけど。でもキャベツは体にいいだろうし、マアいいかって感じで作り続けた。

そして最近ずっと毎晩作ってたのはおそば。これって作るうちに入らないかな?良く行くスーパーで日本のおそばが8束ぐらい入ったのが売ってたんでそれを買って来た。そして日本から来ていた人にもらった麺つゆがあったんで、これ幸いにと作り続けた。冷たいおそばは余り好きでないので、暖かいおそばにした。具に何を入れていいかも分らなくて友達に聞いたら、大根おろしとネギとゆで卵と言ってたんでそれを毎晩作ってた。おそばもきっと体に良いに違いないと思うんでまあいいか。。。と思ってる。

あとは相変わらずストレスが溜まってるので、幸せな気分になれるらしい(?)カレーも頻繁に作ろう!と決心(というかホントにずぼらなだけ。。。)。

リベンジ

ニューヨークで食べたかったチキンカツカレーが食べられなかったんで、仕方が無いから家で作った(笑)。


因みに今日はチャーハン(笑)。でも餃子はめんどすぎて作れない。。。ホントに「作るぞ!」と気合いをいれないと私には無理。この前もひきにくを買ったはいいが気力無さ過ぎてチリになった。

餃子が食べたい〜!

NY 16時間の旅 3

 ブックオフと郵便局はちょっと離れていたんで、地下鉄で郵便局の近くまで行った。そして6時頃到着。持ってた封筒に入れようとして入らなかったり、書類を書かないといけなかったりで思ったより時間がかかって、終ったのは6:35。時間がない〜〜〜と焦りまくる。

そしてバカな私は映画館の住所は持ってたけど、どの通りの角かを調べるのを忘れて、どこまで地下鉄で行けばいいかがわからない!!!もっともっと焦る私。

取り合えず地下鉄乗り場に行ったけど、いつもはすぐ来る電車がこの時に限ってちっとも来ない。5分待ってもう限界とタクシーを拾うことにした。タクシーはすぐ拾えたんだけど、住所を行ったら反対方向に行く。あれ?あれ?と思いつつようやく「方向が反対じゃない?」ときいたら向こうも色々言ってきて、そこで言い合いになってやっとお互いが認識違いをしてたのに気づく。結局タクシーは逆方向に行ってたのでUターン。でも道路も混んでるし、時間はそのとき既に6:45だし私はイライラと焦りが頂点っぽい。まじで映画見れなかったらシャレにならない〜。

それでも何とか映画館には6:50に到着。焦りつつも中に入って通路でチケットをチェックしてる人の所へ。
 




そしたら私の前にいた人がLさんだった(爆笑)。

すごーく焦る私。なぜなら私は凄くトイレに行きたかった。絶対に映画の最後までがまんできないと分ってたから。そいでLさんは他の人と一緒にいて、その人になにか話してて、「一分で戻ってくる」と言ってどっかへ行った!追いたいけどトイレが〜〜〜〜と思いつつそこでチケットを切ってる人にトイレの場所を聞いたら地下にあると。でエスカレーターがそこにあると私の後ろを指差す(Lさんが行った方向)。そいで時間まだ大丈夫か聞いたら急いでと言われ。。。私は走るようにそのエスカレーターに行ったら逆方向!!!もう超焦ってもう一回戻って訊いたら彼女もあんまり分ってなくて、多分反対側と言われた。それでそっちに行ったらあった! 私はエスカレーターをかけおり、そうしながらも、あ、Lさんもきっとトイレ行ったんだーと考えてた(笑)。出来るだけ早くすませようと思っても思い通りにはなりません(笑)。それでも無事に終らせてまた走って戻る。Lさんは既に戻ってた(私はあんなに急いだのに!!!)。そしてそのすぐ後ろにはもう一組並んでいた。でもとにかくLさんだ!!!と思いつつ焦っててあまり考えられないし、そのおかげか緊張も無かった感じ(焦り>緊張)。そしてチケットをみせて中に入り。Lさん達はゲスト用の席(別に特別なエリアでもなく彼の前の席とかも空いてたような。でも私は結局前から3番目ぐらいの真ん中に座った(前に人が座ってなくてとても見易かった)。(彼の席は右端の後方。 でもかなり小さい劇場)

映画は短編が7本ぐらいあったんだけど、結構みんな良くて、特に4本凄ーく良いと思った。とくにアイルランドの映画が途中まで超笑えたのに最後に泣かされた。。。。Lさんの映画は最後だったんだけど、私の両隣が泣いていた(私も泣いた)。映画の後は監督全員が前にでて映画の事話したり質問に答えたりしてた。ここでも私は ちょっとシャイだったんで写真を撮らなかった(iphoneだったら撮れたかも。。。でも私のカメラはばかでかい一眼レフカメラ。)。そしてそろそろ時間切れって感じで解散に。でも監督達はまだ前にいて話したい人が話に行く感じ。Lさんに話したいけど、何言えば???(笑)って感じでわらわらしてたけど、どうせだから一番感動した監督のとこに話に行った。とてもナイスな人で泣いたーと言ったら、あああああ。。。と言われた。でちょこっとこの先の事とか話しができて嬉しかった。でLさんのとこに行きたいんだけど、通路に立ってる人が邪魔でいけない。。。もう結構焦ってて(笑)、椅子を乗り越えました。彼は誰かと長く話してるから割り込めないしちょっと離れてみていた(注:ストーカーではありません)。そしたら映画祭の人が次の映画がはじまるから出てくださいと言ってて、Lさんもその話してた人と挨拶して出口に向かいそうな感じ。。それで「すみません。。」と言ったら振り返ってちょっと止まったんで、映画良かったです、とかいつ作ったのか、とかとってもとりとめの無い話をした(笑)。


ちょこちょこっと話しながらこの間外に出て通路を歩きながら2人きりで話せた〜〜。でも写真も撮らなかったし、サインももらわず。(時間はあったけど、私自身が限界!!!(笑)ってのはやはり今回監督として来てて、そういうの嫌かも?と思ったんで。だからそういうのをお願いしなかった。あと話したければもっと話せたけど(現にその後彼は他の人と話してた)今回はこれで十分過ぎる!と外に出た(あくまでも今回は。笑)。今思えば色々他に訊く事あったじゃんと思う。一度訊きかけて彼も答えて、その後もうちょっと訊けることがあったのに、私が映画の話に戻してしまって、その後焦ってその話してた事を訊くの忘れた。。。そして監督ってことで彼が今やってるテレビの話も聞かなかった!
 

あ、そうそう、別れる時にGood luck(何が?)って言って握手しました。。。グリップは強くなかった。繊細な感じ。へへへへー。(←おかしい人)

そんな訳でちょっとだけハッピー。会えてホッとしたー。ファンとかすごいのかな?と思ったら全然でそれもビックリした。一人ファンらしい女の子いたけど、そのぐらいで。映画祭でこんなに簡単に接近できたのがラッキーだった(それも個別で)!カナダの映画祭の話した時に取りあえずトロントに有名なショートフィルムの映画祭があるよ!と言っといた(笑)。こっちでも上映して欲しい。。。面白いと思ったのは全てが上手く行かなかったおかげで彼の後ろに並んだって事。なんだか不思議な感じ。


その後も全く上手く行かない旅は続き、この後の予定はGo Go Curryっていう日本のカレー屋さんでチキンカツカレーを食べてバスステーションに行く筈だった。Go Go Curry もいくつかあったので、まずは一番近いとこに言ったら何故かGo Go Thaiだった。。。だから別のとこに行ったらもう品切れで店を閉める所。そうこうするうちにバスの時間が近づいてたんでしょうがないからデリに行ってサンドウィッチと水を買った。。結局ビアードパパも行けなかった。。。食べようと思ったもの片っ端から食べてない!!そしてバスに乗るゲートは人の波だった。。。みーんなモントリオールに帰るって人ばかりで10:45発の筈が結局私がバスにのれたのは0時過ぎ。おまけにバスの量を増加させてたので、今度はボーダーでも前のバスが終るのを待つはめになって、すんごく待った。やっと私らの番になったと思ったら女の人が一人引っかかってしまい、みんなバスの中で待機。これも長かった。。。結局私は寝てしまったんでこの女の人がバスに乗れたのかは不明。結局モントリオールには2時間程遅れて着いて会社も遅刻した。


なんだかんだ言って久々のNYは楽しかった(かなりバタバタしたけど。笑)。